2018年 12月 31日 ( 1 )

昨日が今日でも、今日が明日でも、明日が昨日でも

b0177891_21374375.jpg


求道ではない。

それは、抑えることの出来ない衝動。
私の絶えることのない渇望。

そこに幼少期のことが影響しているとしたら。。。
と複雑な気持ちになりました。

数日前、友人に指摘されました。
幼少期に得られなかった愛情を何かで埋めようとするらしい。


私は、二歳の時に父を亡くしました。
母は生活を支えるために、働きに出ており休日も一緒に過ごした記憶はありません。

学校や友人のことで相談をしたことも、ぎゅっと抱きしめられたこともありません。
それを”寂しい”とは思ったことはありませんでしたが、
もしかしたら、友人の家庭を”羨ましい”と思ったことはあったかもしれません。

そんな幼少期を過ごした影響でしょうか、
世の中の熱狂や”空気”をどこか冷めた目で見ていたように思います。


私の”純粋”を守ろうとすることも。
”成し遂げるのだ”という強い意志も。
”命”という限られた時間を燃やし続けることも。

”真実が欲しい”という心の底から湧き上がる強い衝動が私の行動原理の一つのピースだとしたら
私の周りで起こった様々な事象は”必要な出来事”だったのでしょう。

それ故に”生ぬるい”ものを徹底的に憎みます。

昨日が今日でも、今日が明日でも、明日が昨日でも、私の日々はまるで何も変りません。
私は私の運命を引き受けて歩き続けることが私の与えられた役割なのですから。











by gizankatoh | 2018-12-31 21:45 | よしなしごと・・・