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日本橋三越本店『木彫秀作展』… 7/10(水)~23(火)

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日本橋三越本店で行われる『木彫秀作展』に作品「 剛 <木曾義仲> 」を出品致します。
どうぞ、お遊び下さい。


日本橋三越本店『木彫秀作展』
7月10日(水)〜23日(火)
本館6階 アートスクエア

日本の伝統的な木彫芸術の礎を築いた巨匠作家から、今後さらなる活躍が期待される俊英作家まで、秀作約20点を幅広く展観いたします。
[出品予定作家]
佐藤玄々、平櫛田中、宮本理三郎、橋本堅太郎、佐藤晃永、及川茂ほか(順不同・敬称略)
by gizankatoh | 2013-06-27 20:46 | 展覧会

運慶という彫刻家と、快慶という仏師・・・

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運慶はその卓越した感性と技術で驚くべき仕事を残している。

快慶は緻密に計算された非常に完成度の高い仕事を残している。


運慶という「彫刻家」は快慶という「仏師」が存在したからこそ運慶たりえたのだと思う。

快慶という「仏師」は運慶という「彫刻家」が存在したからこそ快慶たりえたのだと思う。


この二人が同時代、同門として存在していたことが奇跡とも思えるほど面白い。
by gizankatoh | 2013-06-25 20:40 | 月鏡

「仏像に恋して」・・・

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会津の旅では、真船きょうこさん著作、「もっと!仏像に恋して」をガイドに、お寺を巡りました。

もちろん、本の中で紹介されていた喜多方ラーメンのお店「食堂なまえ」にも立ち寄りました。

大変、美味しゅうございました。

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真船さん、ありがとうございました。
by gizankatoh | 2013-06-19 08:10 | よしなしごと・・・

"未来"という逃げ場所・・・

過去を懐かしむ事も、
そんな事を共有する友人もいない。

そうか・・・判った。
“未来”にしか私の居場所が無いという事が・・・

前に進むこと、走ることで危うく不安定な“居場所”をかろうじて得ている。
もしかしたら、目標という漠然とした"未来"に逃げているのかもしれない。

ただ、前だけを見据えて、
走りながら息をしている。

怯えるように。
逃げるように。

私の手の中には、いったい何が残るのだろう・・・












by gizankatoh | 2013-06-11 13:22 | 月鏡

薬師如来坐像・・・勝常寺

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会津では勝常寺にお伺いし仏像を拝見させて頂きました。


平安初期、一木で彫られた薬師如来。

どこにも、どの時代にも属さない独特の形。

「降魔坐」に組まれた足は争乱や疫病、天変地異などを鎮めたいという願いがあったのかもしれない。

当時の時代背景を思えば、決して穏やかなものではなかったと思う。

その鑿跡には、東北という厳しい土地に住む人々の祈りと願いと強さを感じる。


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*仏像の拝観には事前の電話予約が必要です。
 また、写真撮影不可のため、仏像の画像は掲載していません。
by gizankatoh | 2013-06-09 22:24 | 月鏡

会津は悲しい・・・

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初めて・・・やっと会津の地を訪れることが出来た。
会津、東北に対して胸の片隅に蟠りのような・・・贖罪の念を抱えている。
今の自分には何の関係もないことだと思っていても常にざらざらとしたもがある。

我が家には戊辰戦争当時、奥州戦(秋田戦争)の事が断片的に書かれた日記の写しが残っている。
島原藩は薩摩藩とともに新政府軍として、会津から秋田を転戦。
当時、島原藩士であった先祖、加藤義康はその戦争の後、島原藩主より「源姓」を賜り、藤原義康から源義康と姓を改めた。

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<奥州戦御觸写 加藤家蔵>


江戸以前の我が「加藤」の事は想像の域を脱しないので気を揉むのは無意味であると理解しているし、甚だ馬鹿げているとも思う。

「加藤」という氏族は利仁流藤原氏という系図がもっとも有力で、平安時代後期に藤原景道が加賀介に任じられて「加藤(加賀の藤原)」を称するようになって始まった。
(*全ての「加藤氏」に当てはまる系図ではありません。)
前九年の役では、その藤原(加藤)景道は源頼義に従い奥州に出陣。景道は「東奥七騎」とうたわれた兵(ツワモノ)であり、七騎武者随一であると言われた。
景道の曾孫にあたる、加藤景廉は源頼朝に従って鎌倉幕府の御家人となり、奥州合戦で戦功を立てた。
景道、景廉ともに、東北の地を蹂躙した。

そして時代は下り戊辰戦争。
家には享保年間~(丹波福知山〜肥前島原藩時代)の資料しか残っていないので、先述の藤原(加藤)景道、加藤景廉の家系と繋がりがあるのかどうかは定かではない。
しかし、血がそうさせるのだろうか・・・東北に対して、常に胸がざわつくような贖罪の念がある。

祈るような思いで会津の美しい景色を目に焼き付けた。

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by gizankatoh | 2013-06-01 08:07 | 月鏡