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忘れない・・・

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                                                   photo by Junichi Takahashi


きっと、三月十一日の大震災の事も忘れ去られて行くのだろう・・・。

人は「忘れる」生き物。

「忘れる」事は人間が生きて行く上で獲得した術なのだ。

「忘れる」事で未来に向け、前を向いて歩く事が出来る。


しかし、私は忘れたくない。

生きて行く上で大きな重荷を背負う事になっても。


私の中で大切な思いがあるとするならば・・・

この震災と津波で街は消え、多くの命が呑み込まれ、

大切な大切な何気ない日常が奪われた・・・と言う事実を「忘れない」と言う事。


何もかも無くなってしまった街の景色も、舞っていた雪も、

北の空も、穏やかな海も、冬の冷たい風も、吸い込んだ冷たい空気も、

一つ一つの言葉も、一つ一つの想いも、

決して「忘れない」と言う事。












by gizankatoh | 2011-12-25 21:01 | 東北に仏像を

長い長い戦い。。。

震災から9ヵ月が過ぎようとしていた12月初旬に初めて岩手県大槌町を訪れた。

瓦礫も片付けられ、茫漠とした被災地に入った事は遅きに失したのかもしれない。

悔恨の情と懊悩、焦燥感・・・自分の中で複雑な思いが同時に押し寄せてきた。


少しづつ穏やかさを取り戻しつつありながらも拭い去れない喪失感と未来への不安の中、

手を合わせる仏様が欲しい、そして私たちの事を忘れないで欲しいと言う痛切な思いが伝わってきました。。。



被災された多くの方は、生涯を懸けても失ったものを取り戻すことは不可能・・・なんだと思う。

それほど、失ったものは計り知れない程大き過ぎる。


被災された方にとっては、これからが生涯を懸けての長い長い戦い。

戦っていかなければならないんだ。。。












by gizankatoh | 2011-12-24 17:19 | 東北に仏像を

紡いだ縁・・・

大槌町で江岸寺の副住職と弟さん、そして吉祥寺のご住職に会って、皆さんとても喜んでくれた。


スッと繋がった。

お会いした刹那、心と心が繋がったような・・・そんな心持ちがした。


ここに来るまでに、多くの方のご尽力と、ご協力を頂く一方、

怪訝な顔をされたり、無視をされたり、批判を受けたりもした。


各方面、多くの方に頭を下げ、連絡を取り、調整をし、

東奔西走・・・東京、奈良、京都へ行き、

やっとの思いで大槌町の江岸寺さんに辿り着いた。


ポンっと繋がる縁もあれば、

紡いで紡いで、やっと繋がる縁もある。


やっと巡り会えた。。。


ここまで遠かったなぁ・・・と感慨深い思いもある。

これからがスタートだ。












by gizankatoh | 2011-12-23 20:35 | 東北に仏像を

大槌町を後にして・・・

残念だったのは、大槌町には実質2時間程度しかいられなかったこと。

それも、自分の都合で。

本当は、もっともっと大槌町に居たかった。


自分には”プチ”パニック障害があるので、ある程度決まった時間に行動(移動)する事で、どうにか症状を抑えている。

一応、心療内科で安定剤と自律神経の薬を処方してもらっているのだが、

行動を躊躇ってしまうし、制限されてしまう。。。本当に病気には足を引っ張られる。

神経質で完璧主義な人がなりやすい・・・らしい。


こういった“病気”の事も周りの方にちゃんと言っておかなかったのも申し訳なかった。。。

ご迷惑を掛けてしまった。

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帰り、新花巻の駅で新幹線を待つ間、待合室のガラスケースに展示されている地元(岩手)の物産品を見ていた。

その中で、あるものに眼が釘付け。

『おとうさん、さけだよ!』

あまりにもパンチのある商品名・・・( ̄☐ ̄;)

ノックアウトされたよ・・・

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by gizankatoh | 2011-12-23 06:56 | 東北に仏像を

江岸寺・・・

江岸寺(こうがんじ)さんに着いた。

と言ってもプレハブの仮設のお堂。


副住職の大萱生 良寛(おおがゆう りょうかん)さんをはじめ、

間に入って調整して下さっている吉祥寺の住職、高橋 英悟(たかはし えいご)さんと良寛さんの弟、知明(ちみょう)さん、

檀家の総代の東梅(とうばい)さんもご一緒に、とても温かくお迎えして下さった。

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良寛さん、知明さんは穏やかな口調で話されているが、当時の話しの悲惨さは筆舌に尽くしがたい・・・


ご自身も津波に呑まれながら一命を取り留めたけれども、

お父さんと息子さんを津波に流され今現在も行方不明。

地震と津波、そして火災とで寺はことごとく失われてしまった。

山の斜面にある墓地も薙ぎ倒され、熔けてしまった鐘楼の鐘が火災の激しさを物語っていた。

骨も灰になってしまって遺族も誰の骨なのか判らなくなってしまったとおっしゃっていた。


現在は仮設のお堂が建てられていたが、檀家さんや町の人が先祖を供養し

心の寄り処として手を合わせられる場所、そして仏様が欲しいと切望されていた。


多くの人が、様々な形で被災地を支援している中、

自分のやろうとしている事が必要の無いものとは思いたくはなかった。


大槌町を訪れ、江岸寺さんに「皆が集まって『祈る』仏様が欲しい」と言われて、

自分のやろうとしている事が無駄ではなかったと確信が持てた。

また、「忘れないで欲しい」という切々たる思いが痛いほど伝わってきた。

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お墓のある山の斜面を登り、町を眺めた。

穏やかな海が冬の光りを受けてキラキラしていた。

斜面を降りて、本堂があった場所に立って空を見上げた。


大きく息を吸い込んで深呼吸をした。

たくさんの人の喜びも悲しみも苦しみも、涙も笑顔も、この町にあった何気ない日常も、

津波に呑まれ奪われた希望も夢も、すべて吸い込もうと思った。


深呼吸を繰り返しているうちに涙が出そうになってやめた。。。












by gizankatoh | 2011-12-21 12:58 | 東北に仏像を

大槌町へ・・・

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朝、ホテルの近くにある寺院「石応禅寺」に参拝。

気が付くと風花。

山を越えて雪が舞ってきたようだ。


天気予報では晴れだったのに・・・

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仏像奉納プロジェクトのメンバー櫻井覺山さんと、

活動に賛同して下さっているフォトグラファー たかはしじゅんいちさん、

盛岡を拠点に支援活動をされている鈴木さんと工藤さんが盛岡から車で迎えに来てくれた。


釜石から大槌町に向かう途中、途中の町がことごとく消滅しまっている。

・・・と思えば、瓦礫が堆く積み上げられている所もあった。

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大槌に入ると、まったく静かだ・・・


鉄骨の建物だけを残して何も無くなっている。

見渡す限り何も無い。

風だけが通り抜ける・・・

まるで、最初からこのままの景色だったかのように、静かで人の気配がない。

きっと何もかも片付けられてしまって、人の臭いも営みの痕跡も消えてしまったんだ。

その静かな町に重機の音だけが絶え間無く響いていた。













by gizankatoh | 2011-12-20 12:30 | 東北に仏像を

釜石にて・・・

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釜石に着いた。

大町(港方面)にあるホテルまでの道を歩いていると、

だんだんと被災している家屋をあちらこちらに目にするようになった。

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ホテルは正面の入り口から入る事は出来ず、脇の階段を上がった2階にあるレストランを通り抜けて、

長机を並べただけの臨時のカウンターでチェックインを済ませた。


コンビニで買った弁当で遅い昼食。

荷物を置いて、只越町、浜町・・・津波に呑み込まれた町へ歩いて行った。

車は走っているが歩いている人はいない。

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釜石港の方に歩いて行くと被害の度合いが濃くなって行った。

ほとんどの家屋が破壊されており、家の基礎だけを残して跡形の無い所も、そこここにあった。


破壊された建物には「×」のマーク。

遺体がそこにあったと言う印し。

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壁が破壊され、鉄骨だけの建物もそこら中にあり、

強く吹く風が通り抜けると、ビョービョーと叫び声にも似た音が人影のない街に響いていた。


あれから、約9ヶ月の時間が流れた。

散乱していた瓦礫やヘドロ等は片付けられていた。

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この街で多くの人が普通に暮らしていた。

掛け替えの無い、ありふれた日常がここにはあった。


私は街を歩き、悲しみの断片を探し、拾い集めた。

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街がビョービョーと泣き叫んでいた。

12月4日・・・私は独り、風に吹かれながら釜石の街を歩き続けた。












by gizankatoh | 2011-12-18 13:52 | 東北に仏像を

東北へ・・・

12月4日・・・ここ数日続いていた雨も上がり、冬の透き通るような青空。

私は釜石に向けて大宮から新幹線に乗り込んだ。

日曜日のせいか、旅行客の談笑が聞こえる。

そういった日常の風景が輝いて見える。



本を持ってきたのだが、少し読んでは、窓の外の景色を眺めていた。

福島を通過する辺りで大きな虹を見た。

何年ぶりだろう・・・

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強風の為に新幹線が遅れたけれども、仙台で無事乗り換えが出来た。

思えば、仙台より北に行った事がない。

仙台には仕事で一度行っただけだった。



遅れながらも新花巻に到着。

どうにか無事に釜石線の時間に間に合ったと思ったら電車が強風の為に運休・・・

バスに振替になりました・・・(-_-;)

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バスでは、ずっと窓の外を眺めていた。

車窓から眺める景色は、冬の優しい陽射しの中 、刈り取られた稲田が広がり、

なんとも穏やかな、なんとも平和な風景が広がっている。

北の景色は、なんて静かなんだろう・・・













by gizankatoh | 2011-12-18 12:49 | 東北に仏像を

ご支援、ご協力をお願い申し上げます。

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‐縁<ENISHI>‐ 東日本大震災 仏像奉納プロジェクトとして、
震災、津波による甚大な被害を受けた岩手県大槌町の「江岸寺(こうがんじ)」様に、
ご本尊として「釈迦如来坐像」を奉納させて頂ける事になりました。

江岸寺の副住職、大萱生 良寛(おおがゆう りょうかん)師は、
自らも津波に呑まれながらも一命を取り留めましたが、お父様とご子息が現在も行方不明。
津波と火災により堂宇のことごとくが失われました。

現在、弟の知明(ちみょう)師と寺院再建に向けて尽力されていますが、まったく見通しが立っていません。

仏像の奉納に向け、少しでも多くのご支援、ご協力を賜りたいと存じます。
皆様から頂きましたご寄付は造仏の経費に充てさせて頂きます。

ご寄付を頂く際、お住みになられている都道府県、もしくは市区町村とご芳名をお知らせ下さい。
皆様のご芳名を名簿とし、仏像の台座の中に納めさせて頂きます。

お一人、お一人の祈り、鎮魂の思いが一羽の鶴となり、千羽鶴のように皆様の思いを込めた仏像をお迎えし、
百年後、千年後の未来へと伝えて行きたいと存じます。

宜しくお願い申し上げます。

*仏像奉納プロジェクト概要


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                                         ・・・激しい火災により熔解してしまった梵鐘

一口 1,000円
振込口座
みずほ銀行 春日部(かすかべ)支店 
普通)1224338
口座名 仏像奉納プロジェクト

*振込手数料が別途掛かります。

Email : butuzohono@gmail.com
Blog : -縁<ENISHI>-東日本 仏像奉納プロジェクト
Facebook : Facebook 仏像奉納プロジェクトページ
(*コメント欄へのご記入でも結構です。)



以下、江岸寺の記事です。。。
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 岩手県大槌町指定の避難場所「江岸(こうがん)寺」では、住民ら約30人が波にさらわれ死亡・行方不明になった。
この場所に建立して300年。幾度の津波も乗り越え、昭和三陸津波(1933年)にちなんで毎年、避難訓練が行われてきた。
住民が「安全」と信じて駆け込んだ場所さえも、今回の津波の前には無力だった。

寺は海岸から約500メートル離れた高台にある。
副住職の大萱生良寛さん(52)らによると、11日の地震発生直後、寺には100人を超える住民が逃げてきた。

「大津波警報」が発令され、良寛さんらは裏手の山に逃げるよう呼び掛けた。しかし、30人ほどは身動きがとれず、座り込んでいた。
いったん裏山に逃げた長男寛海(ひろうみ)さん(19)は、動けなくなった人を助けようとしたのか、駆け下りていった。

玄関付近で住民を誘導していた妻智子さん(52)が振り返ると、泡立つような波が目前まで迫っていた。
悲鳴を上げながら良寛さんにしがみつくと同時に、油くさい真っ黒な濁流がなだれ込んできた。良寛さんや智子さんらは波にのまれた。

「おじいちゃーん」「ひろー」。智子さんは冷たい波の中に漂いながら、義父の秀明住職(82)や寛海さんの名前を叫んだが、返事はなかった。
夫妻はがれきとともに海中を漂った末、救出された。秀明さんと寛海さんらの安否は分かっていない。

寛海さんは愛知学院大学に在学中で、この日は帰省中だった。「ただただ悲しい。『絶対に安全』なんて、もう、ない」。智子さんは嘆いた。


(毎日新聞 『東日本大震災。30人が不明。避難所指定の大槌町・江岸寺』 2011年3月27日より)



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被災僧侶の使命感 4カ月以上経った大槌町の今

まもなくお盆を迎えますが、東日本大震災の被災地では犠牲者や行方不明者の葬儀が連日、各地で執り行われています。
津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町(おおつちちょう)には被災者のために読経を続ける僧侶の姿がありました。


岩手県大槌町で被災を免れた寺の本堂に響く読経。
ここでは今、東日本大震災で犠牲となった人の葬儀が連日続けられています。
大槌町ではおよそ7割の家屋が流され町内に7軒あった寺も2軒が流されました。
町の大部分が浸水し794人が死亡、710人が行方不明となっています。(8月3日現在)

津波の犠牲者のためにお経を上げ続けている大萱生知明(おおがゆうちみょう)さん(46)も被災者の1人です。



町の中心部で父と兄とともに守っていた曹洞宗の寺・江岸寺が津波に襲われたのです。

【江岸寺・大萱生知明さん】
「ここにはね300年間、総ケヤキの山門が建ってた。かなり大きな文化財になってたけど…」

今は跡形もなく取り壊された江岸寺。
海岸から600mほど離れていて創建以来一度も津波の被害がなく、大槌町指定の避難所にもなっていました。



【大萱生さん】
「場所がね、思い出してダメなんだね…」

あの日も、多くの人が寺に避難してきました。
大津波警報を受けて知明さんたちは避難してきた人たちに裏手の山へ避難するよう呼びかけていました。

【大萱生さん】
「足の悪い年寄りの人たちが『和尚さん、登れない』と境内に座りこんできた。
人数にしたら40人弱だったと思うんですけど、そのうち『和尚さん、寒いから中さ入れてくれ』と。
止めようがないんですよ、避難所ですから」

本堂で避難した人たちの対応に追われる中、知明さんもあの津波に呑まれたのです。

【大萱生さん】
「天井がこの高さでどんどん波がきて本当に怖かったです。『やっぱり水死するんだな』と。
『息ができない』と思って瓦礫で天井に穴開けようとしたんですけど、天井が硬くて無理で『あ、死ぬんだ』と思った時にさーっと水が引いて…
そのうち、本堂に光が入って来た。窓から。
よく見たら、おじいさんとおばあさんが畳の上に載ってた。そこまで行きたくても行けない状態。
そうしてるうちにおじいさんとおばあさんが畳の下に水に浸かっていった…」

水が引いて助け出されてみると父・秀明(しゅうみょう)さん(83)の姿はありませんでした。
津波は父と寺と、寺を頼ってきた人を奪ったのです。

今は被災を免れた親戚の寺で、檀家と向き合う知明さん。
知明さんが身を寄せる大念寺には、多くの遺骨が保管されています。
身元が分かってもお墓が流された人、ほかに流された家族が見つかるまで葬儀を待つ人。



あの日も感じた無力感―。
癒えることのない悲しみに囲まれながら、出来る限りの対応を心掛けています。

連日、檀家から葬儀の依頼や供養の相談が絶えることなく寄せられています。
ようやく遺体が見つかった人だけでなく、ここにきて行方不明のままとなっている家族の葬儀を
お盆までにしてほしいとの依頼も増えていて予定は一杯です。
多い時で1日8件。
それも、1件1人とは限りません。家族何人かを一度に送ることもあります。
知明さんが家族ぐるみの付き合いをしてきた人や友人が犠牲になっていることも多く、時間にも、気持ちにも余裕がありません。



【大萱生さん】
「気持ちがね、本当はよそに行っちゃだめなんです。ずっと拝んでないといけないのに、
やっぱり思い出したりするとスーッと抜けてしまう。きのうきょうと続いていたので…
寺の役割は本当は檀家さん達の話をゆっくり聞いてあげることだと思うんですよ。くだらない話でいいから。
その余裕がないのが一番辛いですね。
自分もね、やっぱりまだ、ちょっとしたことで感情がね、みんなそう。止められない。
泣き顔は見せたくないけど、みんなそうなのさ。それでも忙しいふりをして笑ったりしてるわけ」

身元が分からないまま火葬された遺骨もここで保管されています。

誰にも弔われることのない遺骨―
多い時には150体を超え、DNA鑑定で少しずつ身元が分かってきていますが、それでもまだ100体近くが残っています。

知明さんの父・秀明さんは今でも行方不明のまま。
津波の後、火災に見舞われた寺の鐘にわずかに足跡が残るばかりです。

檀家を優先するため、まだ父を弔うこともできません。

300から400の墓も被害に遭った江岸寺。
いつまでもこのままにしておくわけにはいかず、知明さんは日々、葬儀に追われる中、寺の再建についても考えなくてはなりません。

【大萱生さん】
「倒れてもやろうっていう覚悟。義務感?うーん、責任感だね、責任感。
こんな状態の町を見て、ああやって片付けてくれる人もいるんだから、そういう檀家さんは裏切れないですもんね。
生まれてからずっと寺で育ってきてるのにね」


被災者である前に自分は僧侶―
知明さんは、折れそうな気持ちを奮い立たせ、町の人の魂を癒し続けています。


(スーパーニュースアンカー 2011年8月3日放送より)












by gizankatoh | 2011-12-06 08:21 | 東北に仏像を