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広島、長崎を前提せずに生きることは野蛮である

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長崎は幼い頃に亡くなった父親の故郷。

写真は浦上天主堂。

親戚の家から徒歩数分のところにあり、夏休みなどで親戚の家に泊まらせてもらった時には必ず礼拝に行った。


身体に火傷痕が残っていた叔父も数年前に亡くなった。

親戚の墓石には「八月九日」の日付とともにご高齢の方から幼子までズラリと名前が刻まれている。


思えば、生まれ育った本所両国〜深川界隈も空襲の痕跡が残っている。

子供の頃遊んでいた錦糸公園も東京慰霊堂も空襲の犠牲者が埋葬され、ご遺骨が安置されている。

あの橋も、あの川も・・・その頃はそんなことも知らず走り回っていた。


『アウシュビッツ以降詩を書く事は野蛮である』と、ある哲学者は言った。

『3.11を前提せずに生きることは野蛮である』と、ある作家は言った。

広島、長崎を前提せずに生きることは野蛮である。


それ以前と、それ以後とでは世界の景色は一変してしまった。

目を背けて生きる事は野蛮である。












by gizankatoh | 2017-08-09 06:15 | 長崎

ボックスカー・・・

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終戦記念日ですね。

私の育った地域では東京大空襲の記憶があちこちに残っています。

両国の東京都慰霊堂や錦糸公園、隅田公園・・・

走り回っていた街も遊んでいた公園も。。。

空襲の話しもよく聞かされました。


ところで、原爆を投下した爆撃機の機名。

広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」はよく知られていますが、

長崎に原爆を投下した爆撃機の名前はご存知ですか?

「ボックスカー」といいます。

ほとんどの方は知らないと思いますので、この機会に覚えておいていただきたいと思います。


長崎の親戚の墓石には「昭和20年8月9日」の日付で、子供から大人まで戒名がズラリと刻まれています。

親戚の家の近くに浦上天主堂という教会があるので、泊まりに行くと必ずお祈りに行っていました。


今では、その私が仏像を彫っているというのはなんとも不可思議なご縁ですね。









by gizankatoh | 2016-08-15 12:42 | 長崎

人類に与えられた使命・・・

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「争え」「奪え」「増やせ」という命令が種の遺伝子に組み込まれたものなら、

「英知」と「慈悲」によってその命令を克服することが

人類だけに与えられた使命かもしれません。

今日は8月9日、「長崎 原爆の日」



*画像は原爆投下後、倒壊を免れた浦上天主堂の外壁(Wikipediaより)












by gizankatoh | 2016-08-09 15:24 | 長崎

八月九日・・・

私には故郷と呼んでいる場所が二つある。

生まれ育った東京の両国~深川。

幼い頃に亡くなった父の故郷である長崎の街。


今日は長崎の原爆記念日。


父は長崎に原爆が投下された後、瓦礫処理のために市内に入ったと聞いている。

今は長崎市の晧臺寺(こうたいじ)に眠っている。

並んで建っている親戚の墓石には「八月九日」の文字がズラリと刻まれている。













by gizankatoh | 2012-08-09 06:58 | 長崎

8月9日・・・

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この時期になると思い出す一枚の写真がある。

四十四で亡くなった父の故郷が長崎という事もあり、

私にとっても長崎は第二の故郷と呼んでいる思い入れのある街。



報道写真家 ジョー・オダネル(1922年5月7日 - 2007年8月9日)
米占領軍のカメラマンとして原爆投下後の広島、長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影した。

以下はインタビュー記事より・・・


「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。

少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」


8月9日

今年も祈るような思いで、この日を迎える。












by gizankatoh | 2011-08-09 09:08 | 長崎