広島、長崎を前提せずに生きることは野蛮である

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長崎は幼い頃に亡くなった父親の故郷。

写真は浦上天主堂。

親戚の家から徒歩数分のところにあり、夏休みなどで親戚の家に泊まらせてもらった時には必ず礼拝に行った。


身体に火傷痕が残っていた叔父も数年前に亡くなった。

親戚の墓石には「八月九日」の日付とともにご高齢の方から幼子までズラリと名前が刻まれている。


思えば、生まれ育った本所両国〜深川界隈も空襲の痕跡が残っている。

子供の頃遊んでいた錦糸公園も東京慰霊堂も空襲の犠牲者が埋葬され、ご遺骨が安置されている。

あの橋も、あの川も・・・その頃はそんなことも知らず走り回っていた。


『アウシュビッツ以降詩を書く事は野蛮である』と、ある哲学者は言った。

『3.11を前提せずに生きることは野蛮である』と、ある作家は言った。

広島、長崎を前提せずに生きることは野蛮である。


それ以前と、それ以後とでは世界の景色は一変してしまった。

目を背けて生きる事は野蛮である。












by gizankatoh | 2017-08-09 06:15 | 長崎
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