会津は悲しい・・・

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初めて・・・やっと会津の地を訪れることが出来た。
会津、東北に対して胸の片隅に蟠りのような・・・贖罪の念を抱えている。
今の自分には何の関係もないことだと思っていても常にざらざらとしたもがある。

我が家には戊辰戦争当時、奥州戦(秋田戦争)の事が断片的に書かれた日記の写しが残っている。
島原藩は薩摩藩とともに新政府軍として、会津から秋田を転戦。
当時、島原藩士であった先祖、加藤義康はその戦争の後、島原藩主より「源姓」を賜り、藤原義康から源義康と姓を改めた。

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<奥州戦御觸写 加藤家蔵>


江戸以前の我が「加藤」の事は想像の域を脱しないので気を揉むのは無意味であると理解しているし、甚だ馬鹿げているとも思う。

「加藤」という氏族は利仁流藤原氏という系図がもっとも有力で、平安時代後期に藤原景道が加賀介に任じられて「加藤(加賀の藤原)」を称するようになって始まった。
(*全ての「加藤氏」に当てはまる系図ではありません。)
前九年の役では、その藤原(加藤)景道は源頼義に従い奥州に出陣。景道は「東奥七騎」とうたわれた兵(ツワモノ)であり、七騎武者随一であると言われた。
景道の曾孫にあたる、加藤景廉は源頼朝に従って鎌倉幕府の御家人となり、奥州合戦で戦功を立てた。
景道、景廉ともに、東北の地を蹂躙した。

そして時代は下り戊辰戦争。
家には享保年間~(丹波福知山〜肥前島原藩時代)の資料しか残っていないので、先述の藤原(加藤)景道、加藤景廉の家系と繋がりがあるのかどうかは定かではない。
しかし、血がそうさせるのだろうか・・・東北に対して、常に胸がざわつくような贖罪の念がある。

祈るような思いで会津の美しい景色を目に焼き付けた。

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by gizankatoh | 2013-06-01 08:07 | 月鏡
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