歴史を借りた『作品』。。。

自分は歴史や古典を題材に作品を制作している。。。


その時代、時代の習慣や風俗、宗教など背景も学ぶ。

やはり、その時の「空気」と言うものが、その時代の文化を創り出し、それぞれが綿密に絡み合っているのだから、

一つだけを取り出して表現しても「希薄」なものになってしまう・・・と思う。


例えば、平家物語から、一人の武者を制作しようとするとき、

その装束、武具や武士階級の事だけを研究するだけでは、作品が薄っぺらいものになってしまうと言う危惧がある。


装束など時代考証には出来る限り細心を払う。

それでも資料が残っていない事や、研究者の間でも見解が別れると言う事など、解らない事も多々ある。。。

と言う事は以前にも書かせて頂いた。


作品制作の舞台を、平安中期~初期、奈良、白鳳、飛鳥・・・古代、神代、

将来的には中国の歴史にも広げて行きたいと思っていたが

歴史資料の乏しさから、作りたいと思っていても「手が出せない」・・・と畏れていたのだ。


ちょっと前置きが長くなったが、

解らない事は解らない事として、作家自らの「解釈」と「表現力」と「物語」を一つの作品として表現しても良い♪

・・・と言う開き直りにも似た論理に帰結した。

もちろん、出来る限りの徹底した取材は前提。


それは、司馬遼太郎と山岡荘八の話を例に取って話をしてくれた、大阪高島屋の美術担当の方との話から「なるほど」と得心したのだ。

つまり、「歴史研究の資料」と、「歴史を借りた作品」との違い。


自分は資料を作っているのではなく、

自分の思いを歴史に重ね合わせ、日本の美意識や、その裏にある物語、

その人物の心を借りて自分の心を映し、表現するという私自身の「作品」を作っているのだ。


徹底した取材、歴史考証という「土台」の上に、自分の物語、美、ロマンを重ね、形にしていくと言う事です。












by gizankatoh | 2011-07-02 15:47 | 美術の話
<< 未完ゆえ・・・ デタラメ・・・ >>